シャニマスに学ぶ第一感情

シャニマスの深そうなこと言ってる人達をバッシングする記事が拡散されてるのを見て感化されたというか、自分自信この件について考えてることがあったので書きます

あとらいぶなんとかドアブログは三回程書き途中の記事が全焼したのでおさらばします

 

件の記事は排他的かつ信者的思考やそもそもあたおかな人達がシャニマスに蔓延ってきてそれらのユーザーが正当化されてるというかそれらにカーストの上に立たれているような気分でいることが本当にきもちわるいみたいな記事です 毎朝通学路にうんこ落ちててくせえくせえ言ってたらうんこがどんどんデカくなってった感じ

偏見入った雑な要約なので見てない人はシャニマスが辛いってツイッターとかで検索すればいいと思います

 

今浮き彫りになったこの件について自分のスタンスは「シャニマスのシナリオ(=コンテンツ)を摂取するときは第一感情を忘れるな」で

第一感情について説明しておくと、何かを見たときの第一印象みたいなそんな感じです

すげえ服の園田智代子を見てただただデカいと思ってるだけのオタク

 

 

最近のシャニマスのシナリオは初期に比べて明らかに「間」を置いて空気感を演出していて、これがやっと手に入れた好きなキャラとかならじーんと胸に響いて深そうなこと言っちゃってもいい 言語化できるならできないよりいいので(調べないと分からない言葉を使うのはどうかと思うけど)

けどTrue周回中や個人で別段思い入れの無いキャラクターのSRとかでやられても高カロリーなだけで胃もたれ気味になってしまうのも実情としてある

この類のシナリオをわざわざ無理に分かろうとしなくていいし、わからないことは悪ではないから周りに合わせようなんてしなくてよくて。

 

結局何が言いたいかというと・・・普段から第一感情に気づかず第二感情を自分の本心だと思って行動してしまうと、そのシナリオに対しての本当の感想は一瞬で風化し第二第三感情が働いて本来理解できなかったり響かなかったシナリオも、「自分がそう思うべきなんだろうな」という方向へ感想に飾りをつけてしまうことがあって、それだけは回避してほしいということ

それを繰り返すと結局シャニマスを好きな自分が好き(な風に周りに見られてしまう)という最悪な状況になるので、自己陶酔と作品愛の境界線を間違えないようにしようね

いじょうです